まさまさの徒然日誌

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オシャレ男子を目指して日々奮闘している大学生のブログ

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【雑談】#60 僕は何のために働いているのか。

ここ1週間以上忙しいというか、雑談を書く気が全く起きなかった。ブログはたまに見ていたのだけれど、時間がないことを言い訳に書かないでいた。今はちょうどバイト終わり。体から魂が抜けて、抜け殻になった肉体だけでキーボードを叩いてる。

 

今日、バイト先で好きだった子が辞めるらしいと友達から聞いた。全く気にしない素振りでそっかーと反応したけれど、一人になると悲しくなった。また一つ、バイトに行く意味を失ったからだ。もう、お金を稼ぐ以外にいく意味がないと感じている。

 

だけど労働環境は悪くないし、職場の人と良好な関係を築けているから辞める理由もなかった。いや、辞める勇気がないだけかもしれない。今さらバイトを辞めても、また新しいバイトを探したり環境に馴染むのに大変だから、結局今まで通り働くのだろう。

 

最近、自分は働くのに必要とされているのだろうかと疑問に思うことが多々ある。自分一人いなくても上手く円滑にいくのではないだろうか、と。学生バイトだから大した仕事がないのだが、だからと言って単純作業だけではやりがいを全く感じない。自分という存在の必要性がないのなら、わざわざ働く必要はないのではないか、と思う。

 

好きな人もやめて、単調な作業ばかりで、バイトを続ける意味があるのか。今日もまた、クタクタになりながら、雑談を書く。そういった日々を送っている。

 

話が変わるが、あと、もう一つ。

 

ケチると節約するの境界線は一体どこにあるのか。節約は得をするけれど、ケチるのは損をするように感じているのだが、どう思うだろうか。

 

何かの行動に対して無駄だと判断しすぎているのかな。例えば自分の友達にパチンコ好きがいるのだけれど、パチンコの良さが全く理解できない。だって負け続けたらすごいお金が損しているわけだし、そんなギャンブルに賭けるくらいだったら何か美味しいものを食べたり服を買ったりした方が良いだろうと考えてしまう。

 

だけれど、お金をかけなければ逆に損している場面もある。例えばお金で経験を買ったり、お金で時間を買うこと。経験や時間に対する投資は悪くない、むしろ良いことなのかもしれない。

 

この前の夏休みに友達と東北へ旅行に行った。新幹線を使って東京から新青森まで3時間ちょっとでついた。在来線で行ったら丸一日はかかるし、とてもお金はかかるが、時間をお金で買ったいい例だ。さらにいい旅館に宿泊したので、良い経験(思い出)となった。ビジネスホテルに泊まるよりも良い思い出となったのは、経験をお金で買ったからだ。

 

だから、使う場面では躊躇せずに使うべきとはこのことかもしれない。本来の自分なら新幹線や旅館を利用せずに、貧乏旅行を楽しもうと考えていたのだが、お金をかけた豪華な旅もいいものだと感じるようになった。

 

結局、お前は何が言いたいんだと思うだろう。なんか、お金をケチったせいで人生損してることが何度もある気がしてならないんだ。ケチった過去は戻ってこないし、それに対する満足や後悔も変わらない。全てを考慮すると、倹約家すぎる自分は人生損してるんじゃないかーと思うわけ。何かの経験を得るためには、それなりの対価を払う必要があり、ケチってたら何も始まらないのだと常々感じている。