まさまさの徒然日誌

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オシャレ男子を目指して日々奮闘している大学生のブログ

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【雑談】#51 なんか人とずれているなという感覚

「結果が全て、過程は評価されない。」という言葉は時々耳にする。社会人になるとそれが当たり前なのだろう。どんなに頑張っていても、いい結果を出さなければ意味がないのはその通りだと思う。

 

過程を評価してほしいと思っていた自分はまだ甘いのかもしれない。そう思わされた体験が今日の授業であった。

 

今日の午後、オンラインで英語の授業があった。

 

授業は簡単にいうと、日本を知らない外国人に対して自分の町を英語で紹介するという内容だ。そのためのアウトラインを宿題として提示されていて、大まかな内容を発表するというものだった。

 

授業前日の夜、僕は自分の町をwikiで調べて、まとめたアウトラインを作成した。おそらく予習に費やしたのは1時間くらいだったと思う。

 

そして今日の午後、授業が始まってからしばらくすると、僕たち学生は先生に怒られた。理由は宿題の完成度が低いからだった。自分で作成したアウトラインについて自分で説明できないのはどういうことだ、と。また、日本を知らない外国人がこんなもの紹介されてもわかるわけないだろう、と。

 

他の人のアウトラインを見て叱っているのだが、僕は他の人の完成度に愕然とした。

 

「自分よりも完成度高いじゃん!!」

それで怒られるとか、自分の時はなんて言われるかわかんねえよ、、

 

公開処刑をするかのように、先生は学生のアウトラインをzoomで共有して添削を始めた。

 

そして自分の番で言われたこと。

 

「なんだこれ?これしか書いてないじゃん。こんなの10分くらいの内容でしょ」ということを英語で言われた。

 

とても悔しかった。自分の言葉で説明したかったのだが、そんな余地はなかった。ただでさえ他の人でも完成度が低いと言われたのに、それを下回る最低点のような結果。

 

「あー、結局は結果が全てなんだな。どんなに下調べをしたとしても、相手がダメだと思ったらその時点でアウトなんだな。」

 

何かに対して自由に作れと言われた時はいつも、自分は空回りするかのように、自分だけ他の人とは違う選択をしてしまうのは何故だろう。意味の捉え方がおかしいのか。みんなが当たり前のように理解していることを自分だけ理解していない。

 

みんなで見せ合う時に自分の誤りに気づく。「あれ、自分だけなんか変じゃね?」と。自分だけ感覚がずれてるというのは全く得しない。

 

今回の宿題だってそう。みんなは話の内容をアウトラインに書くけど、僕は詳しいことを話すつもりでいたから大まかな内容しか書いてない。それで怒られた。

 

例えるなら、本を読んだ後読書感想文を書きなさいと言われたが、漫画を読んで書くようなものだろう。勘違いというべきなのか、なんかずれてるなと感じる。どんなに漫画は本だと主張しても認められないのは明白だろう。

 

結果がすべてというより、正しい結果を導くことが全てと言うべきだろうか。どんなに頑張っていても、正しい方向へ正しい努力をしていないと評価されない。

 

世の中そういうものなんだな。昔から勘違いが多い自分が今後うまく生きていけるのか不安だ。意味のとり違いで損をするなんて、あまりにもひどいじゃないか。でもそれに気づかない自分が悪いのかな。。。