まさまさの徒然日誌

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オシャレ男子を目指して日々奮闘している大学生のブログ

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【雑談】#59 辛い経験があるほど人は強くなれる

自分の浪人生時代のことについては思い出したくないけれど、受験とか勉強のことになるとどうしても過去を思い出してしまうことがある。今まで辛かった経験はありますか?と聞かれても正直忘れたくて答えたくない過去なので、人生で2番目に辛かった思い出を語ると思う。だからこの際、人生で一番辛かったことを最初で最後に書く。

 

浪人生の頃の僕は色々あって周りの人たちから陰口を言われていました。それも僕の前の席でわざと聞こえるような声で僕だとわかるように話していたのです。そういったいじめによるストレスのせいか、精神的に病んでいって、家族や友人以外誰も信用することができなくなっていました。電車に乗っている人、すれ違う人が僕を凝視したり悪口を言っているのではないかと怯えながら予備校へ毎日通い続けました。親に勧められて心療内科にも行きました。朝駅についてから近くの心療内科に電話をかけました。でも、予約が1ヶ月も先になると言われましたが、一応予約をしました。予備校の事務員に病院に行くと言って心療内科に行きました。だけど先生は僕の話に同情するだけでこれといった解決はありませんでした。時間が解決するでしょう、と。朝電車に乗って駅についても改札を降りたくなかったので、時々お母さんに電話をしました。今日、予備校行かなくていいかな?と言って「行かなくていいよ。」という返事を待っていました。しかしお母さんは行きなさいといい、陰口を言われることを覚悟して予備校に行きました。今考えれば行ってよかったと思います。ここまで辛い思いをしたけれど、予備校を休んだことはほとんどありませんでした。それは僕が他の人よりも忍耐強かったからかもしれません。きっと僕じゃなかったら予備校を辞めているか、最悪身を投げていたでしょう。僕にとって予備校を辞めることは、人生が終わることそのものでした。僕は何一つ得意なことがありませんでしたが、唯一勉強だけはそれなりに自信がありました。今まで色々習い事をしてきたけれど、ほとんど上手くいかず親に迷惑をかけていたかもしれません。だからせめて大学だけはいいところに行って将来恩返ししたいなと考えていました。だから今両親を悲しませるわけには行きませんでした。映画を見ても涙を流さない無感情な僕ですが、浪人時代は辛くて泣くことが3回ありました。そのうち2回は親を悲しませるわけにはいかないと考えるだけで涙が溢れ出てきました。予備校のトイレでオイオイと泣きました。予備校を辞めなかったのは責任感と学力の優越感があったからでした。僕は予備校の中では勉強ができた方なので、いじめっ子よりも成績が良かったのです。だから心の中でいじめっ子を馬鹿にすることができたのでした。どんなに陰口を言われても、低学歴の人たちの言葉は僕の心臓の核心を突くことができませんでした。馬鹿が変なこと言っていると思い続けることで、自然と人を見下していたのでした。僕は耐えに耐え続けました。どんなにあからさまな陰口を言われようと、決して予備校を辞めることはありませんでした。そして秋頃になると、僕に陰口を言ってきた人たちが予備校を辞めていきました。きっと受験のメンタルにやられたのでしょう。その時の僕には何も怖いものがありませんでした。受験のメンタルなど、陰口によって傷つけられたメンタルに比べれば屁でもなかったのです。

 

今日この話をしようと思ったのは、TIKTOKで「レオタードおじさん」という人を見たからである。職業・年齢不詳だが40代くらいのおじさんがレオタードを着て街中を歩いている、言ってしまえば変なおじさんだ。

 

そんな彼の不気味な見た目とは裏腹にTwitterでは真面目な素性を見せている。世の中の悟りを知っているのだろうか、達観した生き方・考え方をしていて感動した。彼のツイートには惹かれるものがあるように感じる。

 

改めて、死にそうなほど辛い経験をした人は強くなれるのだと思った。これほどどん底になることはないのだから、どんなことがあってもあの時に比べたらマシだと思えるようになりたい。きっとレオタードおじさんも街中でレオタードを着て周りから注目を集めることに恥ずかしさはもうないのだろう。どんな過去を持っているかわからないけれど、メンタル最強おじさんで間違いないだろう。