まさまさの徒然日誌

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オシャレ男子を目指して日々奮闘している大学生のブログ

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【雑談】 #13 「イエス」と答え続ける人生

 最近雨が降ること多くてさ、カッパ着て自転車に乗ってバイトまで行くのめんどくさいんだよね。早く梅雨が明けてくれねぇかね。

 

まあそんなことより、最近面白い映画を見たんだよ。「イエスマン」っていう映画なんだけど。夜暇になったらアマプラで映画を見ることが最近の趣味で、なんか面白い映画ないかなーって探してたら「イエスマン」っていうのを発見したわけ。今まで見たことなかったけどタイトルは聞いたことがあったし、1時間45分くらいでそこまで長くなかったから見てみようと思ったんだよね。

 

軽くネタバレしていい?簡単に説明すると、いつも「ノー」って答えてた男がある日謎のセミナーに参加したの。で、ある教祖みたいなジジイが男に向かってどんなことがあっても「イエス」と言うことを誓うか?っていったわけ。半ば強制的にイエスって答えさせられた男は、その後どんなことでもイエスと言うようにしたのね。そしたら「イエス」と言う判断をしたらそのあと良いことが起きるようになって、逆に「ノー」と言ったらバチが当たったの。まあ、要は今まで「ノー」と言い続けてきた生活を「イエス」に変えるだけで人生変わりますよって話なんだけど。

 

たしかに自分の人生を振り返ってもいつもイエスって答えてたなと。習い事なんて正直自分が決めたんじゃなくて、親が決めたことにイエスと言っただけ。基本的に誰かが言ったことにはイエスと答える。本当にそれでいいのだろうか。

 

エスって答えることは誰かの意見に従うということ。それが自分にとって有益なもの・嫌じゃないことならいいと思う。だけどほんとは嫌なことなのに相手の様子を伺ってイエスと答えるのは正しいのか?それとも自分の意見をきちんと伝える「ノー」という勇気が必要なのか。

 

これ大人になってよく考えさせられることだね。子供の頃は親の言うことに素直にしたがっていれば褒められたし、それが正しい生き方というものかもしれない。でも大人になったら自分で判断することが求められる。どこの大学にいき、何を学び、どこに就職して、誰と結婚するのか。

 

日本ってさ、和を重んじる文化があるから他人との協調性が大事なところがあるじゃん。少しでも足踏みを乱すことがあれば咎められるし、出る杭は打たれるというように、他の人と同じであるべきって考え方が強いと思うんだよ。でもそれって多くの人が真面目にイエスの道を進んだ結果そうあるべきって空気が作られたのだとすれば、もうすでにわかっていると思うけど、ノーって答えにくい社会は問題があるよね。

 

自分の名誉のためにさ、上司とか先輩の言うことにはノーって言えないことがあると思うんだよ。まあ自分もそういうことがよくあるけど。。なんというか、受動的じゃないけど主体性がない人間って感じで悲しくなる。こう言っておきながら、数年後には自分も就職して昔の自分(今の自分)に言うことがあるんだろうね。「言いたいことはわかるけど、ノーって言うには結構勇気が必要なんだよ」と。

 

※ネタバレ注意

だから映画の中で最後に教祖のジジイがいいこと言ってたよね。「何でもかんでもイエスって言えばいいわけじゃない。無理矢理でも「イエス」って言う習慣をつければ「ノー」と答え続けてきた自分を変えることができるからだ。しかし大事なことは、ほんとうに心の底から「イエス」と言えるようになることだ。」って言ってたような気がする。できるならばイエスと答えた方が良い。それが心から納得できるイエスなら。

 

ちなみに僕は今まで人から言われた通りに生きてきた「イエスマン」です。でもなんやかんや言って人生は成り行きだから。「イエス」って言っても「ノー」って言っても正解はないんだよね。まあこれがイエスマンを見た感想と結論かな。