まさまさの徒然日誌

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オシャレ男子を目指して日々奮闘している大学生のブログ

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【雑談】#87 福島に住む親戚の家へ初めて行った話

3、4日前のこと、僕は母と一緒に福島に住む親戚の家に行った。母の故郷である福島を訪れたのだが、生まれて21年間、一度も親戚の人たちに会ったことがなかった。

 

ここで福島に行くことになった経緯を少し書いておこう。

 

僕の母は決して裕福な家で育ったわけではなかったし、深い傷を負うような過去の記憶があった。だから23歳で家族と絶縁し、福島から東京へ上京してからは一度も福島の実家に帰ることがなかった。

 

それから月日が流れて26年。去年か一昨年くらいに、どういうわけか母の弟から連絡がきた(電話なのか手紙なのかはわからないが)。それは確かに福島に住む弟からだった。

 

それからというものの、時々ラインや電話をして弟と連絡を取るようになった。家族の話や最近の話など、よく電話をしているのを見かけていた。

 

去年は弟が一人で東京に来て、母と兄弟の母(僕から見ておばあちゃん)と久しぶりに再会した。ちなみにおばあちゃんも東京へ住んでいて、それ以外の親戚は皆福島に住んでいる。(僕は弟と会っていなかったので、福島で会うのが初めてとなる)

 

そしてこの3月、僕と母の二人で福島の実家に帰ることになった。僕は母の故郷について少しだけ聞かされていたが、詳しいことはあまり知らなかった。

 

しかし3月16日、東北を震源とする地震によって新幹線と常磐線が運休する事態となる。それによって実家の最寄り駅まで行く列車がなくなってしまい、急遽弟が車で途中の駅まで迎えに来てくれることになった。

 

一時は行くのを断念せざるを得ないと思われたが、常磐線は福島の広野駅というところまでは動いているという情報を得て、行く決断をした。

 

そして広野駅に着いた時、外は雨が降っていた。雨が降っていて寒いとは知っていたが、東京に比べて想像以上に寒かった。僕と母が駅についてから家を出発したという弟とは、1時間後に合流することができた。

 

この人が母の弟なんだ、と思ったのだが、実際にそれほど似ていないように感じた。強いていうなら目元が似ているかな?というくらい、あまり兄弟感がなかった。

 

僕は車に乗って、母の実家のある町へと移動した。途中に原発のある地域を通るのだが、町に人影が全くなかった。未だに家に帰れないのもあるが、大きな補助金によって他所の町で暮らしている人も多いのだとか。だから民家は風化してボロボロになって放置されたままだ。

 

そして母の親戚の方々とお会いすることができた。親戚の人たちは僕の母のことをよく覚えていたようだ。〇〇覚えてる?とか昔は〜だったよねとか、昔話をして盛り上がっていた。母は感極まって少し涙を流していた。母が福島を離れたのが23歳なので、およそ27年前。けれどみんなは僕のお母さんのことをしっかり覚えていた。

 

一方で先日の地震の影響はそこそこ大きかったようだ。棚のものが床に崩れ落ちるだけでなく、断水してお風呂に入れない親戚が、お風呂を借りに家に来ていた。外では、屋根が崩れていたり、墓石が割れて倒れていたりした。

 

夕食は母の兄弟たちとコース料理を食べることになった。実は母には2人の弟がいて、それぞれ5個下と10個下である。その時に40歳の次男の弟とも久しぶりに再会した。次男には奥さんと6歳の子供がいる。

 

およそ30年ぶりに夕食を共にする兄弟とはどのような気持ちなのだろう。僕には他人同士の集まりのように感じられても、実際は血のつながった兄弟である。やはりどこかチグハグな空気感があったけれども、まあ久しぶりに会えばそうなるもの当然だろう。

 

翌日は亡くなった父(僕から見ておじいちゃん)と親戚の本家の墓へ行って墓参りをした。母の父親は2、3年に他界している。だから母は福島を出て以来父親の顔を見ることはなかったし、僕もおじいちゃんとは一度も会ったことがない。

 

父親の墓は去年の夏に作ったばかりだが、地震によって墓石が崩れ落ちてしまった。まだ新しい墓なので、そんな簡単に壊れるのかよ、、と思いつつ、とりあえず墓周りの掃除をした。墓掃除は僕と母と、弟2人とその家族6人で行った。

 

その後は、親戚の本家の墓に手を合わせた。本家の方には、亡くなった方々の名前がずらりと並んでいた。その中にはまだ1才という若さで亡くなった赤ちゃんが何人かいた。きっと戦時中で栄養不足だったのだろう。そのような当時の状況を想像すると胸が締め付けられる。

 

線香をあげて手を合わせて、その後はいちご狩りをして楽しんだ。まあ特にいうことはないのだが、美味しかったことは間違いない。

 

母はこの後数日間滞在し、僕はこの日に帰る予定だった。長男の弟一人と僕と母で駅に行けばよかったのだが、親切ながら次男の弟とその家族も見送りに来てくれることになった。僕が帰る前に、6歳の従兄弟と一緒に写真を撮ったり、東京での暮らしの話などいろんなことをした。

 

そして帰りの時間、みんなが手を振って僕を見送ってくれた。初めて会った親戚だったけど、とても親切な人たちで良かった。1泊2日の短時間しか滞在することができなかったが、母の故郷を知ることができたし、いい思い出になった。また今度福島に行った時は、もっと色々町のことを知りたいと思うようになった。